軍極秘数々の謎を

旧海軍電波実験場の遺跡が発掘された場所は静岡県を流れる大井川の西側(右岸)で新東名高速道路橋梁(新大井川橋)のすぐ上流側です。
ナマコ状の半島が右岸台地から北東に向かって山鼻と称されながら流れを遮る形で突き出ていました。氾濫対策で半島は削り取られました。
国の事業は凄い!半島もろ共跡形なく消えました。遺跡はその尾根で、川から高さ約20メートルの鞍部にありました。
 海抜 110m 現在は空中

静岡県島田市教育委員会の『静岡県島田市埋蔵文化財報告 第49集』
第二海軍技術廠牛尾実験場跡遺跡』を通読して、感じた疑問について、
嘗て会得した電波体験を復習して裏付けとしながら謎解きを試みました。


強力電波実験にはA計画とZ計画があり、
結論から言えばAもZも目的は同じだが、
挑みかたがAは電波信管で理論的であり、
Zは未熟理論の確定を伴い、成果は遼遠!

 強力電波実験 @ 大井川(海軍レーダー徒然草)とドッキング

 装置は電波常識から全然問題にならない。【理論上、殺人光線は有り得ても、殺人電波は不可能】
電波でエネルギーを送れるのは至近距離だけ! ∵ばらける!情報伝送は受信後増幅可能だがエネルギー伝送ではレザー光のように遠距離で集束ができない。

調査報告書59ページから引用 「飛行機のどこか主要部分を溶かしはしないか というのが一つの希望ではありました.(中
略)大井川の対岸に自動車を置いてそれをとめるとか,そんな風なくらいのことは考えまし
た.大井川の上流の牛尾というところに疎開し,山を切り開いてW型の窖{あなぐら}を作っ
て,そこに{パラボラ}を据えて大井川がぐっと曲がっている向うまで約一万五千メートルほ
どあったが,そこへ目標をおき,こっちから強力な電波を出してやろうということで,疎開を
兼ねて,そこへ建造することになり,引越したところで終わった.」(前掲『殺人光線』).

最初に読んだとき これが伊藤庸二さんの仰せられたこととは気付きませんでした。当初は伊藤さんもこのように信じておられたのでしょうか?
否!「強力マグネトロンができれば、殺人光線は不可能でも殺人光線に匹敵する何らかの新兵器に発展できる」と期待されたに違いありません!

 同箇所にもう1つ
 「・・・約一万五千メートルほどあったが,そこへ目標をおき,・・・」
地図で、この場所から大井川を15000m下ると河口・海岸の辺で、途中市街地で頭上を掠めます! 反対方向上流側は近くの山に遮られて15000m隔てた地点に電波は届きません。
伊藤さんは記者の取材に真剣でなかった様子が窺えます。

 「殺人光線」というのは強大な電力を電波に変えてパラボラ反射鏡で電波源の実像を目的対象物上に結ばせて焼いてしまおうという考え方です。
探照灯からの思い付きでしょうが極超短波では、あの光芒のようにビームを鋭く絞ることは無理です。
探照灯の反射鏡もパラボラ(回転放物線体)ですが光は波長が1マイクロメートルよりさらに短いのであのような鋭いビームが可能なのです。
マグネトロンがつくる電波の波長では、エネルギーを集中するポイントが波長に相応する面積を持ちます。波長が更に短ければピンポイントの言葉どおりに小さくてエネルギー密度を高めて対象物を焼くこともできるでしょう。
面積が放射した時の大きさ※ ならばそれが可能であろう・・・けれども実像は距離に比例して大きくなります。エネルギー密度は 幾何学的に 距離の2乗に反比例して弱くなって、仮に直径27mのパラボラ反射鏡を作って焦点距離8.1mとすると、16.2m【】前方に結ぶ実像は放射口と同じ広さですので物を焼くのが可能です、10倍の81m前方ではエネルギー密度は100分の1に薄れますが人が浴びれば危険です。500mにもなると暖房程度で人は殺せません。
 仮に超巨大な直径100mのパラボラを作り、出力1000kwが実現したとして、それでも『約一万五千メートル』先では暖房程度!
更に波長を2cmに短縮成功させたら、火傷を負わせられる?
 いや、まだまだ!サーチしながら途中でチラッと浴びせた程度じゃ駄目!フラフラも駄目! 電子レンジだって『分』単位 !!! 移動に合わせて狙いを外さず撃墜まで数十秒以上も持続させなければ!
  スポットライトが俳優を追いかけるようにはいかない! 別部門の『追跡技術』も督励しなければ!!
一万五千メートル前方に、電波先端の大きさは数センチ!
       102×10×102 = 10 5   ・・・なにをかいわんや・・・


もくじ


口説き
電波でエネルギーを送れるか
パラボラ
マグネトロン
 マグネトロンの理解には
 酸化被膜陰極
 マグネトロンはケースに入れて・・・
構築は ?
 【素人仮説−1】運搬手段
 【素人仮説−2】天井崩落の原因

カーバイド 
反射鏡の操縦について
追記
◇何処か知れないが強力な送信電波を避けて
◇遺跡は荒らされた
○○幻影●●
◇『引渡目録』に「牛尾路上 電磁石用線輪
◇永久磁石
◇マグネトロンの並列運転

◇殺人光線の妄想
◇約一万五千メートル
 極 超短波近距離起爆装置
計画 = 近接信管の開発
計画 = ?!
研究成果を平和利用
◇懸垂曲線2題
◇腹が減っては軍は出来ぬ
◇昭和前期の新聞編集
最後に


電波でエネルギーを送れるか

殺人光線はともかく殺人電波は不可能


電波、赤外線、可視光線、紫外線、X線、γ線、これ等は電磁波上の区分です。

   光と電磁波 から引用


電磁波のうち電波は受信側で増幅できるので専ら情報の送受に適していますが、エネルギーの伝送には向きません。
波長が特に短い電波は光に似ていると言われていますが、波長の短さが足りません。 センチ波と可視光線の間には10万倍の隔たりがあります。
電波のうち極力短い センチ波 〜 ミリ波 を使ってもエネルギーを送るには、すぼまり方が足りません。届くのは僅かの距離だけです。
エネルギーの受け側に結ぶ焦点が甚だしいピンボケなのです。焦点のハッキリはパラボラの大きさ対 波長の比 と更に距離の反比例で決まります。
電波では極力短い波長のマイクロ波を完成し、さらに困難を克服して巨大なパラボラを造っても、まだまだとても比率が足りません。
 仮に目的を『エネルギーを送る』として、受信にもパラボラを用いれば、【波長20cm、受信にも径10mのパラボラを用いて距離約320mでは能率約64%×約64%=約41%】と可能のようですが、
この能率約41%を維持するには受信パラボラ径を距離に比例させなければなりません。距離1kmで約23m、距離2kmでは45mにもなり、受信アンテナを付けてさえ実用に及ばないことがわかります。
レーザー光線のように波長がμm以下にも短くなればパラボラは可能な大きさで済みます。残念にもレーザー技術は未だでした。

 【電子レンジのように受け渡しが数波長以下の至近距離の場合は伝送と考えておりません。】

※ パラボラ反射鏡を2次アンテナといいます。対して、1次アンテナとはパラボラの焦点にあって鏡面に向けた電波の放射口で、放射口の形状を調整して電波を反射鏡の全面に吹き付けます。(なるべく均一に はみ出さないように )
  反射鏡面は放物線の対称軸を中心に回転させた立体の部分です。焦点を無視してはパラボラを論じられません!

 あらためて読み直して、この場所『牛尾』に移設が計画された時点で既に『Z計画』は見切りが付けられて
『手段』が『目的』の下剋上になっていて『殺人光線』は替え玉! 『極超短波近距離起爆装置』で正式名称と知った。
  ・・ここで「距離」とは目標と砲弾の炸裂点との距離を言っている。 高角砲或いはパラボラからの距離ではない。・・
切羽詰った戦局、打つ手がないでは済まない 「兎に角構築しよう、用法は造りながら考える」と悲壮な焦燥感も察せられる。
戦況が逼迫して実験研究をする余裕がなくなったが、最高の頭脳を集めて有効な利用を発見し最終兵器に役立てる工夫がされた。
学者先生たちは妄想の『Z計画』を振り払って『近距離起爆装置』など電波を利用する決戦兵器の発明を求められて参加することになった。


パラボラ

なぜ巨大なパラボラ反射鏡なのか、それはパラボラ反射鏡が大きい程目的に向けて鋭くすぼめて電波を送れるからです。
電波の束の広がりはパラボラ反射鏡の径に反比例する。細くすぼまったままであれば遠くまで届く。届く距離はパラボラ反射鏡の径に正比例する。

周波数   1500MHz 波長 20cm
距離     仮に80q
送信機出力 100kW 80dBm
パラボラ反射鏡の径  10m

 上記条件での結果

自由空間損失 134dB
アンテナ利得  32dB
受信電界   −22dBm 0.006mW
ビーム幅   1.34度(‐3dB幅)

当初22号電探、3号電探などから推察して波長は10cmとしていましたが、この時点で完成した100Kwマグネトロンは波長20cmと判明しました。【創意無限 中島茂 Page 190 図23 】 依って、関連する数値はすべて訂正しました。


写真は反射鏡ではなくて反射鏡の支持機構です。鋼と鉄から組み立てられています。
【反射鏡と言っているのはおかしい! 紙が貼ってなければ障子と言わないでしょう!】
反射面素材は薄銅板又は銅網で軽量、対風圧、高導電性が図られています。【当時アルミは純度不足で腐食して不可!】
何れの場合も銅網の目穴の径は 波長の3/8 以下、それより大きいと電波は反射せずに抜けてしまう。
その銅材が支持体の内面に放物線数式に合わせて正確に貼られていなければなりませんが、写真にそれが見えません。
貼る前の姿なのか?、それとも剥がされた後なのだろうか?   引渡目録には「未完成」となっている。
凹凸の許容差は厳しくて、パラボラ反射鏡の大小にかかわらず放物面理論値から ±12 ミリメートル(波長の1/16)以下。
全体の大きさに伴って細部が大雑把になりがちですが、それではアンテナを大きくした効果がありません。
更に、大きい程重力や風力による歪を受け易くなります。撓んだり捻じれたりはいけません。

 P.-70- (37)写真『パラボラ反射鏡』から寸法概略を推測
  パラボラ反射鏡の直径10m、人物身長1.6mと見て、
 y = x2 / 12(メートル) ←左の数式を選んだところ、写真の姿に大略合います。
即ち
 ・ 深さ 2.1m
 ・ 焦点距離 3m

 数式1  y = x2 / 12
 数式2  y = x/ 2
上の2数式を連立方程式として、yの値が焦点距離です。


パラボラアンテナの原理




マグネトロン


当時マグネトロンは実用期に入っていましたが、実験場当初の研究は如何にして大出力のものを造るかが課題でした。
隘路は寸法と界磁と冷却です。短い波長と大出力は相反する問題です。
また当時はまだ強い永久磁石が無かったので電磁石を使いました。コイルは大型・大重量です。
 そして発熱の処理です。当時のマグネトロンの能率は、40%が限度です。
能率40%ということは、損失が60%のわけで出力100kwならば、 100kw×(0.6/0.4)=150kw
  電波として送り出すよりもマグネトロン自身の発熱エネルギーが大きく、150kwの発熱になります。
カロリー計算から この熱量は、毎秒36キロカロリーで、大バケツに一杯(18リットル)の水が40秒で沸騰します。
2次、3次の冷却方法があるとしても直接冷却には水冷以外の方法は考えられません。
マグネトロン陽極に電波や電子の働きを邪魔しない様に冷却水が走る銅管を融着させます。
          何処までが陽極で何処までが冷却管か区分はいりません。
        水勢は凄いだろう!  突然その水が止まったら ・・・ Water hammer & マグネトロンは水蒸気爆発 !!
         ウォーターハンマーと水蒸気爆発、何れかが発生したら他を誘発してより大きい事故に発展する公算大・・・・恐ろしい!!
このように管内と管周辺に高密度に必要部品を配置するのが課題です。
限界克服が、当実験場に課された目標だったでしょう!
大量の冷却水、循環式では巨大な装置を作っても間に合わない。どんどん汲み上げて懸け流しにするか、大掛かりな2次或いは3次冷却装置を設けたでしょう。
  川原にポンプ室を設けた? 濾過装置も必要。大井川は流量の変化が大きいので渇水も怖い!
  麓に井戸を掘って、渇水期にも水量、水質が満足であればその方法が最適?
         排水は      強力マグネトロンは瞬間湯沸し器だった!
 更に機械的な問題が重複していた。その、第1は流水と管内面の摩擦が陽極の構造を捻るように押す。
第2が流水の強弱(脈動)による振動(陽極構造が揺すられる)。ポンプで直接圧入するとポンプの圧力脈動が水流を経て陽極を揺する。
対策として一旦水槽に貯水して落差を利用したかと考えます。
冷却水の沸騰を防止す手段として管内の水圧を更に高くすることも考えられます。

 マグネトロン陽極とその界磁用電磁石の冷却。
陽極の場合は水管径35ミリ、水勢は蛇口全開程度だが、電磁石の冷却も同程度?
界磁用電磁石の発熱は励磁DC電流によるオーム損によるものです。戦後だったら強力な永久磁石が開発されてこの損失は不要ですが。

 上に冷却水の必要を述べた。
水間技師の絵にも水槽とポンプ室が描かれている。豊富で涸れる心配がない水利を島田や牛尾の地が選ばれた条件として追加したい!  さらに周波数を高く、その上で出力を増すためには、波長に比例して陽極の径が小さく、発熱が集中する。この相乗する問題を水で解決することは既に限界。 打開策は、
 ・2次或いは3次冷却には空冷も考慮
 ・搦め手からも攻める・・ 温度許容値を上げる、冷却水の沸点を上げる
 ・間欠定格を使っているならば、〈論外・ごまかし〜インチキ〉 !レーダーと違う!
 ・軽負荷で使えば陽極能率は上がる。〈 実用的でない〉


マグネトロンの理解には


磁力線はあなたの視線と平行です

電子管で磁力を利用するものは、すべてはこの原理を応用したものですが、進行波管、ブラウン管、電子顕微鏡など大概のものは
電子の進行方向にほゞ平行に磁力を与えます。目的は、磁力線によっては電子の進行方向を矯正すること!
 電子流の個々の電子は互いにマイナス電荷だから 退け合って電子流がバラける。そこで磁力を、陽極に向かって走る電子流に
並行して与えると、あたかも綿から綿糸を紡ぐように縒りがかかって細く筋になります!(捻りの左・右は磁極の向きで決まる)
        左手の法則
 対してマグネトロンは中心の陰極から周囲の陽極に向って電子がスポーク状に放射される。磁力線はこの電子の進行方向を横切らせます。
それには、サンドイッチ状に挟んでS・N両磁極を置くか、または、ソレノイド(円筒形の電磁コイル)の輪にはめ込みます。
磁力線は電子の進行方向を横に押して陰極を中心に陽極列に向かって広がって進んでいる電子群に回転力を与えます。
 さて、フレミング左手の法則をおさらいしましょう。
磁力線の方向をこちらから向こう、つまり手前にN極、向こう側にS極が配置されているとして考えることにします。
  電子の進む方向に直角に磁力を与えると、電子はこれらの両方に更に直角な第3の方向に力を受けます。
   電子はマイナス電荷を持って動くので、電流として扱う時は逆方向に考えて陽極から陰極に向かいます。
磁力の方向と電流の方向が分ったのでフレミング左手の法則を適用すると電子は陽陰極の間を時計回りに
回転しながらさらに回転して陽極に向かいます。電子は粒で散らばっていますから、
流れは一定ではなくて微かに乱れがあります。
無規則の起伏のうちから位相の合った波は陽極に設けた空洞の共振を助け、つぎには助けられ、『速度変調』の
繰り返えしがやがて電子の雲状の群れとなり、陽極空洞の切れ目が作っている ± に働きながら回転します。
空洞電極の位相と電子の速度が助け合って群れの濃淡が成長して発振に至ります。
   陽極電源 ON から安定発振までこの間ざっと1億分の1秒?!
 発振には、空洞の共振周波数に電子の速度と、渦を適合させなければならない。それには陽極電圧と磁力の強さを調整します。


酸化被膜陰極

マグネトロンに限らず熱陰極真空管は陰極をヒーター加熱する。タングステンなどを用いてヒーターそのものを陰極としたのを初めとして、
後には、ヒーター温度を低く電子放射を多くできるようにトリウム入りタングステン或いは種々の酸化金属を塗布した酸化被膜陰極が考案されました。
酸化被膜は見るからに脆そうな素材です。マグネトロンではないが一部が剥離して管内に散乱している真空管を屡々見ました。
     ・・・ 剥離が一部分だったのか劣化に気付くほどではありませんでした。 ・・・
 私の知識では、
『 酸化被膜陰極は電子放射の効率は勝れているが、電子量、陽極電圧が特に大きければ被膜が耐えられずに剥離する。そのため大形管には利用できない 』 と なっている。
この、私の知識で量り兼ねることが どのように克服されたのだろう?

その後蔵書中に発見しました!

引用書籍 マイクロ波真空管
 杉浦正信 無線従事者教育協会
 昭和31年12月15日発行

磁電管は、1μs 程度のごく短時間極めて大きな陰極電流を取るので、陰極の構造、動作は普通の連続発振用とかなり違っている。電流密度は普通の酸化物陰極の場合 0.1A/cm2程度であるが、磁電管では50A/cm2もの高い値を必要とする。したがって最高出力の極限を決める要素の1つは、この陰極電子放射密度である。・・・中略・・・
 短時間の大放出電流は、連続放出の場合陽極汚染すなわち酸素、バリウム等と陽極金属との化合物が陰極表面に作用して電子放出を低下させる現象がなく、且つ休止時間にそれが恢復するためであるといわれる。これは放出時間が 10 から数十 μs までは影響がない。・・・中略・・・
 連続発振用には酸化物陰極がつかえないので、純タングステン繊条が使われる。最近注目されている L カソード、含浸型 L カソードなどは衝撃に強く、放出密度も大きいので有望である。

「 L カソード」はネットで2〜3件調べて理解未了だが、終戦以前の実現はあり得ない! 従って当時、連続波用高出力マグネトロンに『酸化被膜陰極』は構想に過ぎなかったでしょう!
【パルスレーダー用には実用試験中】


マグネトロンはケースに入れてパラボラの焦点に取り付けた!


 パラボラの大きさ10メートルに比べて、マグネトロンは取り付け部材を含めても1メートル足らず、そして界磁電磁石は「重量物」と言ったが開梱したら10キログラム程度だろう? とすれば反射鏡機構全体の頑丈さから考えてマグネトロンと付属物一式を焦点に接して取り付けることが可能! いまさら気付いたが さすが先人たちは70数年前に考えた。
最大の悩みだった太い導波管も同軸管も使わない。代わって必要な高圧電線、直流電線、冷却水管は引き回しが容易、可撓性は充分、ロスが僅少。
   これで、一挙に矛盾が消えて 71年前が近付いて来た感じ!
  【 因みに、波長20pに使う矩形導波管は切り口の幅が内法10cm以上必要。ティシューの箱位!】

ここで気付いたこと
 『Z計画』 に見切りを付けて 『A計画』 に改めて、出力が同じ数値のまま 発熱は 1/100 以下。
冷却問題は 『A計画』 に変更の時点で解消した! 『Z計画』は如何にしてエネルギーを大量に送るかが課題であったが
『A計画』 は情報の伝送が目標で、無理・無謀な巨大出力の達成から解放された。 初めから隠れ蓑だったかもしれないが・・・
 目標の大電力化はこれまでの成果で十分!
『A計画』で必要なのは砲弾信管に電波を感知させる受信の工夫である。砲弾に付けて発射されるとき受信装置は衝撃に耐えられなければならない。
極超短波の受信には専ら鉱石検波器が使われていたが、極めて衝撃に弱い。改めた手段を探すなど、この解決が新たな使命となった!
敗戦ですべてを捨てたが、平和時にも役立つ筈の成果は残してほしかった!が!


構築は ?

【素人仮説−1】運搬手段

 

 調査報告書を要約して紹介することは措きますが、
  まず!
 当遺跡最西端に残っていた地面上高さ3メートル、間隔10メートル1対のコンクリート構造物は大型パラボラ反射鏡を搭載した架台、との前提で調査が進められていますが、間違い!
パラボラ反射鏡の架台との見たのは早計。  索道の主索支持架の基礎構造物です。
その構造物は主索を吊下げ、発振室(パラボラ操縦室)、電源室の建築以前には東側に対しても、つまり両側に対する主力塔として使用されたと考えます。
動力は人力のほかに小馬力の発動機が使われたと思います。 もう1つの動力 ⇒
私の仮説が正しいとすれば、
・ 『第6章 まとめ』最後の『謎』は解消する
・ パラボラは方向限定では用をなさない不満が解消する
・ 当時は建設の際、起伏地には 索道 、平坦地には トロッコ が普通だった
・ パラボラ反射鏡の架台ならば、間隔は10mより狭い方が適している(重心を回転兼支持軸上に置かないと、自身の荷重で反射鏡面が歪む)
・ パラボラ反射鏡の架台ならば、両台の底部を連結して一体構造にしなければ左右地圧変動の差が反射鏡に歪を与える
・ パラボラ反射鏡の架台ならば、前後方向の支持構造が不足。風圧は反射鏡面の前後方向に作用する
・ 間隔10m+の主索を吊る門型構造は、パラボラ反射鏡を傾けずに通せる
・ 1対に直交した切通しは電波路ではなく索道運転の所要幅である
・ 調査報告書は架台が引渡目録に載っていないことを疑問視(38ページ)しているが、海軍の財産では無く、建設事業者に帰属

 当時わが国にはヘリコプターがありません。山道を人肩、モッコ、牛馬の背で運んで間に合う場合は小規模に限られます。
運搬用の道路を建設するには今と違って多くの日数がかかります。そこで、このような場合は索道によるのが例でした。
索道は小規模から大規模まで運搬量に応じて適した構成を選定します。小は人力による神楽桟(かぐらさん)、ウィンチなどで、ウィンチには動力が使えるものもありました。
鉱山など大規模のものは電動でした。登山客輸送用も索道の範疇です。また、
今では高さ20メートル程を、ドロドロの生コンを管で上げているのを見ますが、生コンは1949年からだそうです。(ネット調べ)
つまり戦時中には生コンによる工法が無かった。砂利、砂、セメント、水を運び上げて、揃ってから捏ね合わせた。
以上から、土木・建築・電波・電源等各部門共用の索道を設けて重量物、精密機械などを交代に吊り上げたに違いありません。
この図のような規模での総運搬は1000回以上も懸りそう? 雨の日は避けたい! と すると、もっと大規模な仕掛けだった?

調査報告書19ページから引用                       縦横断図を参考に計算すると10,000m3余の土
量となる。掘削土は電源室が造られた谷間に埋め立てられているが、この谷はすべての掘削土を処
理するには狭く、一部は他に捨てられたようである。この捨て場所として造成現場近くの丘陵斜
面が考えられるが、調査前に行った地形測量では、施設近くの丘陵斜面の等高線に乱れはなく、掘
削土を多量に捨てた痕跡は認められなかった。

 此の疑問の答え、掘削土の重力エネルギーは索道を吊り降ろすことで、吊り上げ側の動力として利用されたのではないだろうか? !
つまり、峰筋と直行して北西方向から南東方向に主索と共に全体1条の動索を延長、下りの重力エネルギーを、反対側に吊り上げ動力として有効利用したと考えます。
、     高所に発生する残土、破砕屑等の重量物はエネルギー資源であった!!
そのためには頂上に頑丈な定滑車を吊るす門形が必要で、コンクリート遺跡1対は両方の重量と張力に耐えるよう設計されたその台座だった!

ブレーキも適切なものが工夫されたことでしょう。

10,000m3余の掘削土の密度(比重)を仮に平均 2 とすれば2万トン、それが平均20m落差の高所に貯えられている。そのエネルギーは?
そのエネルギーを1000時間で使え切るとしたら何kwを使えるか?1000kw,機関車並み



 発振室(パラボラ操縦室)・電源室間の謎のスロープは、
 東側索道の引上荷物を緩やかに着地させるためのもの。
用済み後電源室のコンクリート床に埋められたが、発振室(パラボラ操縦室)への運搬用として上部だけ残存した。
では、パラボラ反射鏡はどこに着けたのか? 発振室(パラボラ操縦室)の屋上に砲座転用等の方向自由な架台を設ける企てだったでしょう !
          装備すべき艦船を失って砲座が余っている!

 



調査報告書38ページから引用 発振室北側にあるパラボラ反射鏡の架台は、引渡目録には載っていない構造物である。細尾根の
切断部分の崖面に接して造られている。パラボラ反射鏡の設置が間に合わず、終戦時、終戦後も爆
破もされることも無く、当時のまま残っていた。両架台の頂部にはパラボラ反射鏡を支える基台用
と思われる穴が複数個認められた。また、架台及び隣接地に木柱が残るコンクリートの穴も認めら
れた。これらはパラボラ反射鏡を架台に固定した際に用いられたものと思われる。このことからパ
ラボラ反射鏡は完成しないまでも何度かこの架台の上に仮設置された可能性も考えられる。また、
『中日トピック』には牛尾実験所のパラボラ反射鏡と考えられる写真が掲載されている。平場に置
かれた状態の写真で、景観的には牛尾実験所である可能性が高い。分解して運びこの場所で組み立
てられたと考えられるが、この広場は三方が絶壁や断崖となっており、唯一の入口が東側となる。
しかし、架台の東には発振室、その東には電源室が、切り立った壁面一杯に建設されている。建物
建設後は内部を通らなければ、この場所に行くことができない。どのようにしてこれだけ大きな器
材をこの場所に運び込んだか謎である。

引き渡し目録から知れるがA装置(極超短波近距離起爆装置)の実験装置1組は旧場所(島田第三研究場)にあり、未だ牛尾実験場に移転されていなかった。
即ちA計画は形ある装置が存在した。それの設計図の再生を命じられ、現物と共に接収された。 跡形なく である。ソ連を意識して米軍は自らの軍機にしたのではないか?


【素人仮説−2】天井崩落の原因

アーチ型のこの建築は締め付力に上に積まれた 土 の重みを利用している。
     伊藤さんが仰せの『W型の窖{あなぐら}』の「W」は " weigh " の略だろう!
現場の建築物は間口が崖っぷちで、太平洋 ⇒ 駿河湾からの海風は大井川を遡り、川筋に突き出た半島の斜面に当たって上昇、
途中のアーチ建築に吹き込んで、パラグライダー同様の揚力が発生!  アーチ建築は1個1個の重力利用で、成立っている。
1個でも浮き上がったら、タガ の外れた桶の様に崩壊する。 1945/05/15
地形に不適当な構造形式を採用したのが主因で、現場技師の責任は一部に過ぎない。
 惜しむ、指揮官は建屋が出来たら休まず直ちに、総動員をかけて天井の勾配が緩い範囲に土嚢を作って積むべきだった。
 そして、■2日後山田技師自殺■『詰め腹』を予測しなかったか!
事故の日は何れか? 臼井さんのコラムでは 5月15日、 中日トピックのルポでは 7月の雨が続いた日となっているが、
 私は雨よりも風が原因と考えている! 
 
調査報告書37ページにも「記録によれば、5月15日・・・」と記されている。 とするとあの日だ!!
駿河湾と相模湾、170km隔てているので同じ天気とはいえないが、昭和20年5月15日の兵長進級式は晴れて風があった。


カーバイド 

調査報告書28ページから引用 (5) その他施設(発振室北側のテラス、見張り所、道路)
 発振室の北側、発振室の床から高さ約3m程の場所に、南北方向3m〜4m、東西方向約8m
の平坦面が認められた。米軍引渡目録にある牛尾実験所配置図に描かれた発信室北の長方形(建
物?)の場所に当たる。岩盤からなる崖面を、L字型にほぼ垂直に切り崩して造成され、南面は
発信室に接し、東面は電源室に接する。調査では建物の基礎などは検出されなかったが、当時の
地表面からはカーバイド(炭化カルシウム)と思われる灰白色の粉状の固形物が広範囲で認めら
れ、その周辺から鉄片や銅線などが出土した。 −−−以下略−−

カーバイドと言っても、アセチレンガスを発生させた後に捨てられたもので、余分の炭素を含んで灰色ですが石灰が主成分です。
アセチレンガスの用途は酸素と混合させて高温で勢いのある青白い炎を吹きつけて鉄、鋼などを溶接したり、切断したりします。
また、夜間作業の照明にアセチレンを使う大小色々な照明器具がありました。 そのなかに、
違うパラボラ 70p位のファイバーボードのパラボラで内側反射面は錫メッキ薄鉄板(ブリキ)でした。その焦点附近に点火部を支えて距離と炎の強さが調整出来る構造で、屋外夜間作業で手元を照らすのに使われました。この現場でもこれが使われたと思います。小形発電機普及以前です。
カーバイドは水と反応してアセチレンガスを発生します。ガス圧が弱くなると水槽から追加注入されて必要なだけガスが発生する仕組みでした。
ガスが出終ったカーバイドの滓を付近に捨てても当時は公害を問う人は居りませんでした。



反射鏡の操縦について

反射鏡は全天空の半球にくまなく向けられます。当時その機構を持っているものには対空火砲、探照灯、対空射撃電探等がありました。
そのうちから、  ――『発振室』の床はほゞ正方形――
 規模こそ違うけれども これがヒントになって42号電探(s24)に共通しているなと感じました。
42号電探の操縦機構を重ねて考えますと、必要条件にすべて適合します! ただし、
電探よりも大型だということは大きいだけでなく、高い精度が必要です。【ビームが鋭いから僅かにでもガタがあれば向けたビームの先は目標から外れてしまう!】
   ◆それでも、次の時代に出現する宇宙用パラボラアンテナに比べれば赤道儀機構が不用なだけ単純です!◆

 図は2枚とも42号電探です。木造シェルターを『発振室』に、VHFアンテナ一式を大型パラボラアンテナに入れ替えて想像しました。


追記


 ◇今となっては何処か知れないが強力な送信電波を避けて山陰に径1メートル足らずのパラボラアンテナが据えられるはず!
 本体パラボラアンテナが目標に正対すれば反射波が返ってくる。その反射波を確認して目標に電波が届いているのを知る。
そして撃墜するまで逃がさずに追跡する。【レーダーと違いパルスでなく連続波なので距離は測れない。】
それが無ければ広い天空の一角だから細く絞って浴びせた電波が当たっているかはずれているか分らない。
      波長20cm、パラボラ径10mでビーム幅は1.4度 (電力半値間、波長に比例、パラボラ径に反比例)
その補助アンテナは本体アンテナに方向、高角を連動して追随させる。
補助アンテナで受信した信号を修正すべき角度に加工して操縦員の席に表示する。(レーダー技術の応用、死角を許さないならば2か所以上必要)



 ◇遺跡は荒らされた

『写真図版』を再々拝見するうち気付いたことです。
写真図版中7枚に見られますが、発振室(パラボラ操縦室)と電源室の間の基礎コンクリートが破壊されています。その破壊状況が徹底して大規模です。
なぜこのようにまで破壊する必要があったのでしょうか?  以下推理
観測機器を電源室の電磁界から守る遮蔽壁がありました。その遮蔽壁は銅網です。
遮蔽効果を完全にするため2重にして発振室(パラボラ操縦室)の壁に塗り込まれました。
戦後 壁と基礎を破壊して金属回収したのです。或いは、他所にも例がありますが、銅が高騰した時に盗掘された?

 終戦から数年を経て朝鮮動乱が勃発して、その軍需に伴って湧いた金偏景気(カネヘンケイキ)には、金属、なかでも銅が高騰しました。
 当時身近の事件ですが、駅間通話中の列車運行用電話線が盗賊集団に切断して盗まれました。切り落とした電線は待ち構えた小舟に収容!
彼らに不運は、夜半を選んでも夜行列車情報の通信中だったので被害がすぐに知れて手配が速かった。賊集団の半ばは逃げ遅れて御用となりました。

 そのような時代だから銅製品を大量に扱った当遺跡も残存物が探されたに違いありません。
電磁遮蔽の銅網はコンクリート壁を崩して持ち去ったり、パラボラアンテナの銅網が剥ぎ取られたのもこの時と思われます。
川底も探されたでしょう。マグネトロンの陽極は純銅で比重が大きいから石よりも深く沈んでいました!
 この遺跡の調査に往時の重要関係者の協力が無いのは、特需景気の際に金属漁りの国際企業に投棄場所を案内したり手を
貸したことに罪を意識して隠れたものと思います。この人たちは当遺跡のすべてをご存じだろうに史実のために残念です!
言えたくても言えず窮屈だろう!そして、歴史を抱いたまま墓場へいってしまう!



○○幻影●●



 ◇『引渡目録』に「牛尾路上 電磁石用線輪 1」とあるのに注目しています。この物品は露天禁物です。それなのに
 何故 路上なのか? 重量物なので終戦を知らされたとき、運搬を止めて、その位置に放置したものと思いました。
「電磁石用線輪」とあるから、コイルだけで鉄心は別。それでなお重量物であれば、これこそ大出力マグネトロンの界磁コイルに違いありません。
先にも書きましたが、当時はマグネトロンの界磁は電磁石でした。


 ◇永久磁石
 戦前既に東北大学仁科存教授のもとでマグネトロン用永久磁石の試作を完成していた。この成果を基にマイクロ波レーダー用として艦政本部第四部にコバルト数キログラムの割り当てを求めたが拒否された。【創意無限 中島茂 Page 68 】
強力マグネトロン開発の時点でも要求したか どうか? 既にコバルトが日本に無かったとも考えられます。
【素材は、永久磁石用のKS鋼 を例とすれば、鉄、炭素、コバルト、クロム、タングステン】


 ◇マグネトロンの並列運転
 交流電源の並列運転は同期していなければならない。
交流発電機の立ち上げの際は回転速度を調整して同期検定して確認がとれてから接続する。
マグネトロンも交流電源だから並列運転には、同期が必要。
高周波の場合は互いに相手を引き込んで1つの波になろうとする勢いを利用するが
分割陽極のマグネトロンの、例えば8分割分割陽極型では既に内部で4組の並列同期運転が行われている。
その上で更に別なマグネトロンに同期させることは引き込み力が分散して安定度に懸念がある。
同期が成功しても些細な原因による同期外れが心配だ。大出力運転中同期が外れたら大破壊が起きる!
同期外れ対策を完成させなければ実用出来ない。
  交流発電機の場合は安定だが、故障で同期が外れた際は切離す装置が施されている!

 上記とは別に同期を必要としない方法を考える。導波管内での合成は相互に干渉する、干渉を避ける有効な手立てが見つからない。
ならば、同期を必要としない自由空間に電波として放射されてから合成させる。つまり、導波管だけでなく
パラボラアンテナまでを個々に設けて専用にする。 それは、場所を取るし設備が嵩み間に合わない! ・・・。


 ◇殺人光線の妄想
 語彙の隔たり!
1つの単語で海軍用語と民間一般の解釈の隔たりがありました。「兵器」は一般の認識では、
鉄砲、大砲、刀剣など直接敵を破壊殺傷する道具と理解されていました。ところが海軍用語では
直接敵を破壊殺傷するものでなくとも、軍用の機器は全般に「兵器」と称することになっていました。
「電波兵器」も電波探信儀、電波探知機、電波高度計など直接敵を破壊殺傷するものでは
ありませんが『電波兵器』が正式呼称でした。
たまたまSF小説を読んだことのある民間人が「電波兵器」と聞いて『殺人光線』
に短絡思考するのは自然です。これが飛躍妄想の原点でした。
また今日(こんにち)よりもに噂に尾ひれが着くのが甚だしかったこともありました。
殺人電波の可能性など電測練習生の青二才でさえ「バカバカしい!」
「通りがかりの電波を受信アンテナも無くて捕らえられるもんか!」
 と思うことを専門の技術士官が信じる訳がありません。
そして、『噂』が流れても、防諜上に方便になる程の思惑だったのでしょう。


 ◇約一万五千メートル
 B29は高度『約一万五千メートル』でやってくる。我が方はこの高度にとどく高射砲がようやく完成した。しかし破裂が高すぎたり低すぎたりしてせっかく至近コースの弾が無駄弾になっている。弾を込める時にタイマーをセットする古いやりかただからだ。 電波を利用して弾が目標に最接近したときに破裂させられる方法を工夫して効果を最大限にしようというのが『A計画』であり『極超短波近距離起爆装置』で、それには『約一万五千メートル』上空の『10メートル以内』が目標。
伊藤庸二さんの言われた『約一万五千メートル』はこの実験距離なのたが、
 話の行き違い?
伊藤庸二さんは記者に距離は? と問われて『約一万五千メートル』と答えた。記者氏はそれを水平距離として書いた 〜〜 両者共 とぼけている!



 ◇ 極 超短波近距離起爆装置
 米軍は既にこれを『VT信管』として完成実用させていた。回路図だけを見れば動作原理は簡単で、しかも、技術的にはやさしい筈の『』が付かない『超短波近距離起爆装置』と呼ぶべきものだった。
    当時アメリカにしてもマイクロ波受信機を砲弾に組み込めなかった。彼等も同じ悩み、鉱石検波器が衝撃に耐えられない!

____参考までに  敵サン のVT信管____________


もしがわが軍がこの秘密兵器を知ったとすれば、回路も理屈もすぐに理解できた。
しかし耐震真空管ができなくてマネするには数年間必要だっただろう!
「我が軍は米軍がこのような『近接信管』を使用していたことを誰も知っていなかった ! 」とされているが、違う!
【気付いたときは戦死したとき!】だったとして、「九死に一生」のことわざ通り生還した時に語られた。
我が軍の時限信管より有効な信管が使われているらしいと感じていた将兵は多かった。それに対して
米軍は不発弾を日本側に拾われないよう対策を厳重に指示していたと聞くが ?



 ◇計画 = 近接信管の開発
 いくらB29が大きいと言っても数千〜1万数千メートルの上空、的は極めて小さい、砲弾の直撃はあてにできない。直撃しなかったからと言ってむざむざ通り過ごさせている。勿体ない! 弾丸が至近距離、即ちすれ違いに破裂させて、その距離が近ければ撃墜でる。 要するに、それが計画です。 それがうまくできれば不可解な装置は要らない。特攻攻撃まがいの局地戦闘機の誘導もいらない !
     
 B29を狙った高射砲射撃を見たら誰もが、横に外れたのは仕方がない、真上や真下で炸裂してるのを「何とかならんか」と感じた筈だ!
       「近接信管があればなあ!」
    如何なる手段ですれ違い時に破裂させるか? 砲弾にレーダーを組み込めれば可能だが!
 先に掲げたように 敵サン はすでにこの方法を実戦に投入していました。
我が方は遅れをとりました。砲弾に組み込む真空管には耐振性が必要で、更に1回きりの使い捨てだから大量に必要。理屈は解っても作り出す工業力が間に合いません。
砲弾に組み込む真空管が間に合わないならば、かわりに強力な電波を使って信管を働かしたらどうか?・・・これが次善の策として構想されたらしい!
『・・・地上から放射される方向性を鋭くもったセンチ波によってアンテナ電流が誘起され,砲弾を爆発させることができる.・・・』
    【これには とても鋭さが足りません。(10mΦパラボラ、λ= 20 cmでビーム広がり1.3°)工夫を し直す必要があります。】
また、砲弾にレーダーを組み込めないかわりに弾道の最接近をどうやって検知するか、更なる工夫の余地を探る。
とにかく、強力電波で故障させることが無理でも、味方砲弾を思う所で破裂させて撃ち墜すことを緊急実現させなければならない!


 ◆計画 = ?!
 当時の海軍技術研究所の考え方『A計画』を模索する。
 パルスレーダーが目標を捕捉した状態では、空間に電波の幕が作られる。
レーダーが捕捉したとは、パルス電波で出来ている幕の遠近を調整して目標を幕面に合わせた時のことである。
      幕の形状は球面の一部で、立体化した弧である。【ラケット】
目標の移動を追尾しながら特殊信管を搭載した砲弾を目標に向けて発射する。続いて『強力電波』(CW)に転換する。
 砲弾に上記【ラケット】面を検知させるには第1にドップラー効果による方法がある。他案は実現性を見込めない。
電波の唸りを検知して最適点で破裂させる。破裂が 10m 以内ならば撃墜できる。
 砲弾は、ダイポールアンテナを兼ねさせる。
耐衝撃検波器は、旧海軍のものだとして遺されている小型2極管はこれではないか?
      2極管は構造が簡単だから耐衝撃が成功した!? 増幅管の耐震性が未完成の間は『強力電波』を用い検波器出力で直接信管を働かせる。
この方式では『強力電波』は糎波の必要はない。波長の選定は楽である!
   試算、100kW,10mφで5km以内は可としても、15kmでは金魚すくい並!
   ∴ 出力、アンテナ、感度夫々総合して十数 dB 向上が必要!


 ◇研究成果の平和利用
 エンジンを壊したり、搭乗員を殺傷することが出来る程のエネルギーを飛んでいる飛行機に届けられるならば、
飛行機にこのエネルギーを積極的且つ安全に受け取る装置を設けて航続距離を延ばすことが出来るではないか!
【無着陸供給 ―― 勿論エンジンは方式を改める必要がある! 】

―― 殺人光線は知らないが、殺人電波はない! ――


 ◇懸垂曲線2題
 懸垂曲線(カテナリー)は一見放物線に似ているが開き方が有限です。
(1) 索道は支索も曳索も空中に懸垂曲線(カテナリー)を描きます。支索をきつく張れば巻き上げは楽ですが、
凡てを堅牢に造る必要があり、緩く張るか きつくするかは、兼ね合いです。
(2) アーチ型の建築は 逆さまの懸垂曲線で、逆さまは曲線上の各点に働く力がプラス、即ち 圧力 です。
載せて固まっていた土が基板と一緒に風で押し上げられ、解れ(ホグレ)れて、風が止んだら 支えを失いました!


 ◇腹が減っては軍(いくさ)は出来ぬ
 牛尾実験所の接収物件目録に烹炊所がない。・・・?
島田から弁当を運んだとしたら、片道5キロメートルは不便。
天幕か、あるいは財産台帳に載らない程度の建築で烹炊所が作られた・・・?
伐採材を薪にして煮炊き・・・仮設烹炊所はすぐに煤けて黒くなった・・・!
   上空秘匿のため、伐採はできるだけ少なく! 掘削のあとは植林をした?! そのための苗や薪も運び上げた!

 ◇昭和前期の新聞編集

 

引用書籍
《静岡地震被害見学記 寺田寅彦》
      冒頭部分から

 昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。静岡の南東久能山の麓をめぐる二、三の村落や清水市の一部では相当潰家もあり人死もあった。しかし破壊的地震としては極めて局部的なものであって、先達ての台湾地震などとは比較にならないほど小規模なものであった。
 新聞では例によって話が大きく伝えられたようである。新聞編輯者は事実の客観的真相を忠実に伝えるというよりも読者のために「感じを出す」ことの方により多く熱心である。それで自然損害の一番ひどい局部だけを捜し歩いて、その写真を大きく紙面一杯に並べ立てるから、読者の受ける印象ではあたかも静岡全市並びに附近一帯が全部丸潰れになったような風に漠然と感ぜられるのである。このように、読者を欺すという悪意は少しもなくて、しかも結果において読者を欺すのが新聞のテクニックなのである。



 ◆最後に、
 続々敗戦に追われる時節、国家の掛替えのない科学者等を「殺人光線開発」の名目を以て、疎開させたものと思っている。
 『殺人光線』は隠れ蓑!
 科学者先生たちの生命、或いは敵上陸による拉致、これらの危険回避が軍上層の機密施策だったのでは?



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公開 平成27年9月10日

裏付け確認は此の書に依った。

   mailto: ja0hp777@gmail.com